今日は、2022年3月11日ですね。
毎週金曜日に、ブログを更新するマイルールを
決めてから1年位経ちます。
そんな、マイルールと3月11日が重なりました。
11年前のこの日に起こったのが、東日本大震災です。
私は、その時も無職で家にいたところ、地震にあいました。
東日本大震災で、東北地方が経済的に混乱している中の再就職活動
コロナウイルス感染拡大の影響で雇止め(何度も愚痴ってすみません。💦)
ここ数年で、気付いた
私って、就職氷河期世代 !!
という、事実。
ある意味、引きの強い自分に
悲しいやら、笑えるやら
偶然、3月11日が金曜日だったので、
11年前の3月11日に起きた、偶然の話をしたいと思います。
被災地に住んでいて、ブログを書いているのだから
あの日のことを
少しくらい書き残しておいた方が良いのでは?
思いもあり、振り返ることにします。
※ 本ページはプロモーションが含まれてい
地震が起きたときは
地震が起きたあの時間、私は自分の2階の部屋で
医療事務の勉強をしていました。ちょっと、曖昧ですが
何かの勉強をしていた記憶があります。
地震の揺れが始まった瞬間は、まだ、歩けるくらいの揺れ
だったので、安全な場所へ移動しようと立ち上がりました。
窓やドアを開けるといった、逃げ道の確保はすっかり忘れて
家具が倒れてきても、安全そうな場所を探しながら部屋の中を移動。
移動しているうちに、揺れは大きくなって
立っているのがやっとで、柱につかまりながら
早く、揺れがおさまって
祈る事しか出来なかったです。
揺れは、かなり長く感じ
このままでは、家が壊れるかも
短い大きな揺れなら、なんとか持ちこたえても
さすがに、この揺れでは
という、揺れの大きさと長さでした。
長い揺れが、おさまり1階の母のもとへ。
母も、私と同じく家の柱につかまって
何もできずにいた様子です。
大丈夫だった。
いや、大丈夫だけど、怖かったね。
あなたは
うん、怖かったけど大丈夫だよ。
互いの無事を確認後、各部屋の被害状況を確認へ
各部屋の中で、棚の上の方に物を置いていた部屋は
物が床に落ちて、足の踏み場のない状況なっていました。
幸いタンスなどの家具類は倒れることは、なかったのですが
一番ひどかったのは、台所です。
扉を手前に引っ張るタイプの食器棚だったので、
地震の揺れで扉が開いて、中に入っていたコップや皿などが
床に落ちて割れてしまいました。
家の中で一番、被害の大きい台所を片付けながら
お父さん、大丈夫かな?
仕事中の父の心配をする母。
緊急時だし、電話してみれば
そうだね
固定電話を確認すると、停電の為
固定電話は使えません。
じゃ、私の携帯で掛けてみる。
父の携帯に、電話を掛けてみると
電話が混みあって、繋がらないみたい
そうか、とりあえず、台所を片付けようか
台所の片づけをひと通り終えると
父への連絡を電話ではなく、メールですることにして
メールをしてみても、返信はありませんでした。
父と連絡の取れない一晩のはじまり
東北で大きな地震があったことを知り
県外の友人から何通かメールをもらいました。
でも、父からのメールは来ることはなく
安否確認が出来ないまま、夜を迎えることに
この時、友人からのメールには
心配してくれて、ありがとう
の気持ちと、心配してくれるのは嬉しいけれど、
心配メールは、1通で十分だよ
と、少し冷たい気持ちもありました。
その理由は、父の安否確認取れない中
バッテリーの残量が…。
地震による停電のため、携帯電話の充電できず
地震前に、十分な充電をしていたわけでもないので
携帯電話バッテリー残量は、残り十数%になっていた為です。
- モバイルバッテリーの用意
- 友人への心配メールは少なめに、大丈夫の確認が取れたら
数日後もしくは数週間後落ち着いたころに、連絡を入れてみる
震災を経験して、なんとなく今後に役立てようと
思った事です。
今後、何らかの震災のときに役立てたい事は
他にも、いっぱいありますが、今思い付く
スマホに関係する事しては、この2つですかね。
偶然聞いていた、ラジオで出来た安否確認
父との連絡は取れず、停電の中迎えた不安な夜。
停電のため、テレビも付かず携帯電話のバッテリーも
残りわずかで、情報収集に役立ったのは
毎朝、聞いていた母の携帯ラジオでした。
一瞬、見ることの出来たワンセグテレビに
今でも、忘れられない
津波に流される、おもちゃのような車の映像。
あの時は、信じられませんでしたけど
そんな、光景を父は避難した高台の山の上から
見ていたようです。
色々な不安の中、毛布に包まり寝るに寝れず
なんとなく、聞き続けていたラジオから
次のメッセージです。
夫が海沿いの○○会社に勤めていて
いまだに、連絡が取れません。
どなたか、○○会社の状況がわかる方は
いらっしゃいませんか?
ということで、○○会社について
なんらかの情報をお持ちの方は
こちらのラジオにご連絡ください。
と、ラジオパーソナリティーの方の声が
○○会社だって、お父さんの会社の
親会社じゃなかったけ?
うん。そうだよ。
やっぱり、海沿いの人達とは連絡取れてないんだね。
地震津波のあとのラジオは、皆さんからの安否確認の情報を
伝言板のように放送してくれていました。
たまたま、聞いた父と同じ会社の方のご家族の
メッセージは、問いかけで終わると思っていました。
数時間後、再びラジオから
え~、だいぶ前に○○会社にお勤めのご主人と連絡が
取れていないとのメッセージをご紹介しましたが、
○○会社の方からこちらにメールがありました。
え、○○会社従業員、協力会社従業員
全員無事だって、今、ラジオで言ってたよね。
うん。確かに、○○会社て言ってたね。
聞き間違えでなければ、お父さんも
大丈夫ってことかな
本人からの連絡ではないので、この時点で
絶対ではありませんでしたが、とりあえず
ラジオから聞こえてきた情報で、少し安心することが
出来ました。
朝になって、無事帰ってきました。
父からの連絡はなかったものの
偶然、聞いたラジオからの情報で
少し、安心することが出来ましたが
やはり、顔をみないと心から安心することは
出来ませんでした。
一晩中、ラジオを聞きながら
不安な一夜を過ごし、ようやく朝を迎えます。
日がすっかり上がったころ、
玄関の方で物音がしたので、行ってみると
玄関のガラス戸から父の姿見えました。
玄関のカギを開けて、戸を開け
お帰りなさい。良かったー。
いや、今も道路は浸水していて
大変だったよ。
お帰りなさい、無事で良かった。
どうやって、帰って来たの?
母が聞くと、父が通勤で使っていた自転車が
運よく、津波に流されず会社の倉庫に入っていて
それを押して帰って来たとの事でした。
メールの返信が出来なかったのは
あまりの津波に、目の前の出来事を写真に残す為
携帯電話を使っていたらバッテリー切れになってしまった
そうです。
いやいや、写真より安否確認でしょ。💢
思いは、口にせず無地に帰って来てくれたことに感謝することにしました。
11年前の3月11日、ラジオに助けられた偶然の出来事 まとめ
2011年3月11日のことを振りかえってみました。
東日本大震災で、亡くなった方や親しい方を亡くしてしまった方
色々な物を失った方のことを思うと、心が痛いです。
でも、忘れてはいけないことなので
ブログの更新をすることにしている金曜日と
3月11日が重なった、偶然の力をかりて
あの日のことを書き残すことができました。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
このブログを読むことで、役立つ何かの
発見につながれば幸いです。
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